アートプログラムとまちの風景(前編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]

東京都国立市内外の方とともに活動(ACT)し、まちとともに成長するさまざまなプラットフォームを育てることを目的とした団体である「一般社団法人ACKT」が、各地で実践されている文化芸術活動の担い手や活動、仕組み等について「場づくり」「体制」「アートプロジェクト」等の観点からリサーチ取材を行い、レポートにまとめました。

初回は、アートプログラム「Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]」の取り組みを、全3回にわたりご紹介します。

貿易港として日本一大きな陸地面積を持つ「名古屋港」。そこには、どこか懐かしい商店や民家が並ぶ、港まちの風景が広がります。ちらほらと目に入る空き家、空き店舗だった場所には新たな灯がともり、新しい動きが生まれていました。

名古屋駅から電車で約20分。5階建ての旧文具店ビルを再生した「Minatomachi POTLUCK BUILDING(ポットラック)」は、まちづくりとアートのための拠点でもあり、地域の人たちが自由にゆるやかに過ごせる場にもなっています。

企画・運営を手がけるのは、「港まちづくり協議会」と同協議会を母体としたアートプログラム「Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]」。現代美術の展示やイベント、空き家を資源として活用する「WAKE UP ! PROJECT」など、様々な取り組みを展開しています。

アートの視点を取り入れたまち、まちに触れたアート、そこから広がる光景とは? プログラムディレクターの吉田有里さん、青田真也さんに話を伺いました。

 

港まちにアートを取り入れた。

「ポットラックという言葉には、ありあわせ/持ち寄り料理という意味があり、人々の知恵、問題や課題を持ち寄り、学びの共有の場としていきたいという想いを込めました。日常の中にアートやデザインなどの創造的思考を取り入れることで、人々や土地の潜在的な魅力、新たな気づきを引き出すきっかけになる場所を目指しています」(吉田)

『港まちづくり協議会』は、ポートピア名古屋という競艇場のチケット売り場の売り上げの内1%を、まちづくりのために活用する組織として、2006年に設置されました。はじめは学校や公共施設といったハードの整備に予算が使われていましたが、そのうち整備もほぼ終わり、次はソフトの整備へ。そのタイミングと、名古屋に多くのアーティストが集まる『あいちトリエンナーレ2013』が重なりました。そこで、2010年・2013年のトリエンナーレに長者町会場の担当として参加していた吉田さんとの出会いがありました。

「『港まちづくり協議会』では、2013年から2018年のまちづくりの指針を『み(ん)なとまちVISION BOOK』という冊子にまとめており、まちづくりにアートを取り入れるという指針も示されていたので、そこに基づいてアート事業を立ち上げることになりました。協議会委員のメンバーの中にはアートに理解のある方もいて、柔軟な方が集まっています」(吉田)

港まちエリアには、現代美術が盛んだった902000年代にギャラリーがいち早く存在しており、住民の中には当時の活気を知る人も。かつては港湾の倉庫をアーティストのスタジオとして貸し出す取り組みも行われており、その後も断続的にアートに関わる動きもあり、アート事業を取り入れる素地がありました。

「協議会のスタッフメンバーと話している中で、まちづくりの活動と、まちなかのアートプロジェクトは似ているようで、アウトプットや行程などの多くの部分が異なることもわかってきました。そこで、アーティストとして活動しながら企画も行っている青田真也さん、アート・マネジメントを専門とする野田智子さん(2017年まで在籍)を共同ディレクターに迎え、何かを進めていく上で噛み合わない部分があれば、何回も話し合いを重ねていきました」(吉田)

 

アートプロジェクトやまちづくりのプロセスは、似ているようで、大きく異なる。

同じ行政、同じ地域という枠組みであっても、役所内の部署や、それぞれに活動している団体の目的やプロセスは立場によって異なります。そのため、まちづくりにアートの視点を取り入れるとき、目指しているかたちは似ていても、それぞれのの考え方やプロセスが大きく異なることに、最初は驚く人も多いそう。そのことを感じとれる一つのエピソードがあります。

名古屋市観光文化交流局から、「港まちを舞台にクラシック音楽のイベントを開催したい」という当初の提案を受けて動き出し、クラシック音楽と現代美術のフェスティバルとしてスタートした「アッセンブリッジ・ナゴヤ」。初年度は名古屋フィルハーモニー交響楽団が創立50周年を迎えるタイミングでもあり、クラシック音楽部門ではフルオーケストラが演奏できる特設ステージを用意して、4日間の演奏会が企画されました。開催にあたって、フルオーケストラが登壇できる規模のステージを作り、演奏会が終われば即解体され、楽器は海風に当たると傷んでしまうためすべてレンタルする必要がありました。音楽家のまちでの滞在も演奏会の日のみで、地域の人と触れ合う時間もほとんどありませんでした。「美術展でアーティストがまちをリサーチして新作をつくるように、中・長期的にアーティストがまちに滞在できて、地域の人々が音楽やアートに触れる機会が増える、そんな企画を中心にできないか」と、吉田さんと青田さんが企画運営を担っている現在のかたちへと、時間を経ながら変化していきました。


(撮影:今井正由己 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会)

結果的に「アッセンブリッジ・ナゴヤ」として、プレイベントである2015年度から2020年度の期間、港まちの公共空間や空き家、店舗などを活用した展覧会やコンサートなど、さまざまなプログラムを盛り込んだフェスティバルを毎年開催しました。初年度からの振り返りをもとに、アーティストがまちに滞在する機会をより増やすことで、アーティストと地域の人々の交流もこれまで以上に見られるようになりました。さらに、2021年からは「フェスティバル」から、アーティストがまちに滞在して制作や活動を行う「アーティスト・イン・レジデンス」へと移行しています。

当初の「港まちを舞台にクラシック音楽のイベントを開催したい」という提案をした段階では、アートプロジェクトのようなプロセスやアウトプットにイメージが湧いていなかったという名古屋市の担当者も、実際にアーティストがまちに入って活動する様子を目の当たりにするうちに実感を持ち、初年度を全体で振り返る段階では「港まちでアートプロジェクトを実施しているみなさんが目指していたことがよくわかりました」と話すようになりました。このようにそれぞれの立場の違いで、目指しているかたちは似ているようでも、アウトプットやプロセスが異なることがよくあるのです。

 

市の担当者と一緒に、アイデアを持ち寄って事業をつくります。

「行政側にとっては何かをやりたくて始める、というよりも、まずは市の仕組みや予算があり、そこから考え始めていくことが多くなります。当然、アーティストや現場を作っている人たちとは熱量も違ってくるので、まずはその場で何が起こっているのかを見てもらう必要がありますよね。企画やイベントの場には頼み込んででも来てもらって、一緒に時間を過ごします」(青田)

たいてい役所には3年で部署を異動するという通例があり、担当する人によって熱量や姿勢も変わります。自ら密に連携を取っていく人もいれば、予算組みの相談のみでほとんど関わりのない人も。どの段階でどの立場として関わっているか否かでも、大いに熱量は変わります。最初にともに立ち上げを経験した担当者は、市の中での別の部署に異動になってからも気にかけてくれ、サポートや助言をくれることもあり、繋がりを持ち続けることが多いそう。


(撮影:三浦知也 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会)

「異なる立場だからこそ、仕事の分担の難しさや、どこに熱量を持てるかという違いはありますが、やっている中でお互い発見も多くなります。行政の人は現場を見ることで、アートを架け橋に思いもよらない場の変化や人の交流が起こっていることを少なからず感じているでしょうし、僕たちは『行政のルールの中で、どうしたら実現できるか?』と常に自分たちにも問いかけながら、その問いを行政やまちづくりの人たちとも共有していく。行政やまちづくり、違った立場の人たちと連携することで、アーティスト個人だけでは叶わなかったことも実現できる可能性が広がりますし、例えば具体的な話で言うと協議会や個人では使用することが難しい、市の施設を使った取り組みへと拡張することもできます」(青田)

アートはまちづくりのために存在しているわけではありません。逆もまたしかり。アートはアートのため、まちづくりはまちづくりのために行われていく中で、接点があれば発見につながる。アートの視点を取り入れた場からは、そんな相乗効果が広がっています。

Interviewee : Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya] https://www.mat-nagoya.jp/
Interviewer : ACKT
text : Yu Kato photo : Yuki Akaba

 

中編はこちら:アートプログラムとまちの風景(中編)|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]